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【伊能忠敬】夢は叶えるものじゃない、追い続けるものである!偉人から学ぶ「夢」について考えてみた

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センパイって、幼いころからの夢ってありますか?

そうね....。無くはないけど、どうして?

ちょっと将来の夢について同期のニケちゃんと話していたのですが、
話しているうちに夢ってなんなのかが分からなくなってしまって ...。

哲学的なことを考えるのね!でも大切なことだよね。

こんにちはネコ部長です。

みなさん「伊能忠敬」という人物はご存知でしょうか?

「たしか日本で初めて地図を作った人だったかな?」ぐらいの知識は学校の教科書にも出ていたと思いますが、じつは伊能忠敬という人物はものすごい人だったのです。

そこで今回は偉人から学ぶ「夢」についてお話ししていきましょう。

 

 

伊能忠敬(いのうただたか) 

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伊能忠敬
江戸時代の商人・天文学者であり、寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで17年をかけて、日本全国を測量して「大日本沿海與地全図(日本地図)」を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした人物です。

 引用:ウィキペディア

あれっ...? 商人?  天文学者?
お侍さんじゃなかったのですか?

いいところに気が付きましたね。

伊能忠敬は、じつはもともと武士ではなかったのですね。
その理由は、忠敬の生い立ちから関係してくるのです。

幼少時代

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伊能忠敬は、1745年に今の千葉県山武郡九十九里町の小関家の末っ子として生まれました。幼名は「小関三治郎」といい、家は酒造家だったようです。

三治郎が6歳の時、母を亡くし、父は実家に戻り(元々は婿養子だった)小関家は叔父が継いだようです。(漁師もやっていたという説もあります)

名家に生まれたとあって、読み書きやソロバンなどの教養をしっかり教え込まれていたのでかなり優秀だったといわれています。

そして10歳の時に、実父に引き取られたものの、親戚や知り合いの家を転々としていたのですが、三治郎の仕事っぷりと賢さの評判は良かったようです。

この頃の三治郎は「将来は天文学者になりたい!」という
夢があったようね。

その優秀さに目をつけたのが伊能家で、ちょうど婿養子を探していた時に三治郎の噂を聞き、婿養子に向かい入れたのです。この時三治郎は20歳で名も「伊能忠敬」となったのですね。(かなりザックリと説明しています) 

忠敬のココがすごい!

忠敬は色々と波乱万丈な幼少期を過ごしてきましたが、とにかく勉強熱心で一生懸命で頼まれたことは断れない性格だったようです。

それでは忠敬の何がすごかったのかをお話ししていきましょう。 

 

① 億り人だった

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忠敬は商人です。米やお酒、醤油などを売って稼いでいたのですが、これがただの稼ぎ方じゃないんですね。さて忠敬がこの仕事で稼いだ金額はいくらだと思いますか?

それは現在の金額でいえばなんと驚愕の、

35億‼

 だったのですね。

ええっ‼どうやって稼いだのですか?

忠敬がこの35億をどうやって稼ぎだしたのかといえば、もともと近くの村で商売をしていたのですが、ある日のこと、「もっと遠くでも売れるんじゃない!」と気づき、河を利用して船で商品を江戸まで運んでいたのです。

江戸は千葉と違って米は少なく、より高い値段で売ることができたのですね。さらに、米や酒だけじゃなく、お金が足りない人にはお金を貸したり、土地が足りない人には土地を貸すなどの金融業もやっていたのです。まさに億り人になったというわけです。

② 村長になった

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そして35億稼いだという功績が認められ、なんと村長になったのですね。

忠敬はもともと他の村からきたよそ者ですので、それまでこの村で生きてきた村民の中には「次はオラが村長になる!」って言っていた人もいたかもしれません。

政治家に憧れる人みたいよね。

しかし忠敬といえば、よそから来ていきなり35億も稼いだものですから、周りは忠敬に村長になってもらいたいと思うのは世の常ですよね。その村人の期待を背負って忠敬は村長になるのですが、この後とんてもないトラブルに見舞われるのです。

③ 餓死者ゼロ!

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忠敬が村長になって訪れた最初の試練があの「天明の大飢饉」なのです。

ザックリといえば、天明の時代は農業が凶作続きだったうえに、浅間山が大噴火したことで大凶作に陥り、死者は全国で90万人を超えた日本の歴史上最大級の飢饉だったのです。その影響はもちろん忠敬の村にも襲ってくるのですが、ここで忠敬はまたすごいことをやってしまうのですね。

それは、忠敬の村の餓死者はなんと、ゼ~ロ~‼ だったのです。

 

ええっ、どういうことなのですか⁇
超ピンチなんじゃないんですか?

  はたして忠敬は一体何をしたのでしょうか。

それは大飢饉を予測して米を大量に仕入れていたのです!
江戸で米を売っていたのは、そこに米が少ないからという理由でしたよね。つまり、米が少ない地域の情報をいち早く察知したり、異常気象による不作続きから大飢饉がくることを予測して全国から米を買い集めていたということなのです。その大量の米を村人に配ったおかげで、村人全員救われたということなのですね。

④ 武士になっちゃいました

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 そしてこの評判が知れ渡って、なんと忠敬は「武士」の身分になったのです!

これは「名字帯刀」と呼ばれていて、太刀を腰に差す武士の特権が、平民の身分であっても庄屋や御用商人などの一部に特例として認められる名誉あることなのですね。

つまり、偉業を重ねて大出世したわけなんです!

しかし、忠敬はこれを意識して今まですごいことをやってきたのではありません。

ちょっと振り返ってみましょう。忠敬の夢はなんでしたか?

そう、忠敬の夢は「天文学者になる!」ことでしたよね。

夢を追い続ける人生

武士にまで上り詰めた忠敬は、この時すでに50歳を超えていました。

しかし、今まで気づき上げた地位と名誉を捨てて夢のために江戸に向かうのです。

 

⑤ 弟子入りする

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江戸に入った忠敬は、天文学を学ぶために「高橋至時(たかはしよしとき)」に弟子入りするのです。この時の高橋の年齢は31歳と忠敬よりも19才年下なんですね。

そこまでして忠敬が叶えたい夢とは天文学を学ぶためだけではなかったのです。

じつは、「地球の大きさを知りたい」というのが本当の狙いだったようです。

この時代すでに地球は丸く天体の一つだということは知られていたようですが、実際のところどのくらい大きいのかが分かっていなかったようです。それよりも日本自体がどのくらい広いのかもわかっていなかったようです。

そこで思いついたのが、同じ歩幅で歩けたら正確な距離が測れると思ったのですね。

そして、正確な歩幅で歩くことができた忠敬はいよいよ日本測量の旅に出るのです。

どうやら69㎝の歩幅だったようですね。

⑥ 20年の測量の旅に出る

この頃幕府は、北海道の上の方にロシアが攻めてくることを恐れていたようで、正確な地図が欲しかったようです。それを理由に高橋の助言もあり、日本地図をつくるための旅を許可してもらうことができたのです。しかしここで勘違いしてはいけません。

忠敬の夢は「地球の大きさを知ること」なので、地球の大きさを測るために日本地図をつくることを始めたのです。

う~ん...。どうして日本地図をつくることが
地球の大きさを知ることにつながるのですか?

⑦ 日本地図完成

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そして忠敬は20年という歳月をかけて日本地図を完成させるのです。

この時、忠敬は既に70歳を超えていました。そして73歳で生涯を終えました。

この忠敬が生涯かけて作った日本地図はかなり精密なものですが、ちょっと待ってください。忠敬の夢は「地球の大きさを知ること」でしたよね。

 

⑧ 夢をかなえる

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忠敬の最初の夢は「天文学者になる」でしたよね。

忠敬の作った地図の何がすごいのかといえば、て天文学を学んだことで、その知識が取り入れられた日本最初の地図だからです。つまり星の位置を観測しながら現在の場所にズレがないかを測っていたのですね。

そして何のために地図を作っていたのか、それは「地球の大きさを知る」ことでしたよね。そうなんです、忠敬はとうとう地球の大きさを導き出したのです!

実際の地球の大きさとの誤差はなんと、約150㎞ だったようです!

どれだけすごいことをやってのけたかが分かりますよね。

天文学の知識と精密な測量技術があったからこそ、
地球の大きさまで計算することができたのですね。

 夢は追い続けるものである!

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「夢」とは、自分が思い描く最高の状態だと思います。

その夢を叶えるために人は努力し続ける生き物だと思っています。

しかし、その夢が簡単に叶ってしまうようなものだったらどうでしょうか。

それは「夢」といえるのでしょうか。

夢とは追い続けることができるからこそ「夢」であると、この伊能忠敬から学んだ気がします。人の夢と書いて「儚い(はかない)」といいますが、「夢」とは淡くて消えやすいものだとも言えます。

その儚いものを叶えるためには、追い続けていくことが大切だと感じました。

まとめ

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いかがでしょうか。

みなさんはどんな夢を抱いていますか。その夢を叶えるためにどんなことをしていますか。夢は叶えるものじゃない、追い続けるものだと考えれば、追っている時こそが本当に楽しく幸せなことだと思えるかもしれません。

それを伊能忠敬は、地位も名誉も財産も捨てて、夢を追い続けることを生涯をかけて実証して見せたと思います。

 

なるほど、夢は追い続けるものですか...。
それで、センパイの夢って何ですか?

う~ん...、それはナイショということで♪

ご覧いただきありがとうございました。