こんにちはネコ部長です。
夏ですね!ホント、毎日暑くてたまりません。
そんな暑い中、あちこちでセミが鳴いていると、暑さが増していくように
感じませんか?
しかし夕暮れになると「カナ カナ カナ」と聞こえてくるのが「ひぐらし」の
鳴き声ですが、この声を聞くと何か懐かしさのようなものを感じて心が安らい
できます。ひぐらしのなく頃に思い出すのが、幼く無邪気だったあの頃のこと
です。今回は少し私の生い立ちのことも踏まえてお話いたしますので、長文に
なるかと思いますがお付き合いくださいませ。
ふるさと
私は10歳のころまで母親の実家で生まれ育っていましたが、親の都合でその家を
離れ、今住んでいる地方にやってきました。母の実家は旧家で、代々農業を営んで
いましたが、なんでも古くはその一帯を治めていた大庄屋だったようです。
家系を辿れば、どうやら江戸時代よりも少し前位から続いているそうです。
(祖母が亡くなったときにお坊さんから聞いた話しです)
今ではその片鱗はありませんが、私が幼いころには母屋のそばには大きな倉が
あり、怒られた時はその倉によく閉じ込められていたことを覚えています。
当時はキッチンも「かまど」で、お風呂も「五右衛門ぶろ」と呼ばれている
マキで炊く形のお風呂でした。
庭にはお稲荷さんも祀っていましたし、母屋の他に離れが2つあり、山も2,3個は
持っていたと思います。しかし、私が小学校になったくらいに老朽化していた家を
建て直し、新しい今風の家となりましたが、祖父の代からそれまであった土地や山を
ほとんど手放してしまっているようです。
母は長女で、本当は家を継がなければいけなかったようですが、婿養子の父がそれが
嫌になり一緒に家を飛び出していったものの、結局は離婚となりまた実家に帰ること
になってしまうのですが、やがて母が再婚しその関係で、今住んでいる地方にやって
きたのです。そこからは不幸の連続となってしまうのですが、今回は伏せておきます。
結局のところ家督は母の妹が継ぐこととなったようです。
子供の頃の遊び場
子供のころは今のようなゲーム機なんてものはありませんでしたので、よく
友達と一緒に遊んでいた場所は山や川でした。山に入ると蛇やハチ、野犬など
と遭遇することもありましたので、今では考えられないと思いますが当たり前
のようにナタやカマなどの刃物を装着したり、笹竹で造った弓なんかを所持して
山を駆けずり回っていたものです。おやつもその辺にある木の実、たまに畑にある
果物などを食べていたものです。
川では釣りをして楽しんでいましたが、釣り竿はすべて自作して、エサも川の中に
ある石の裏にひっついている虫をとり釣りをして、釣った魚はその場で焼いて食べ
ていました。もちろんナイフを所持していたのでちゃんと処理して食べています。
ここまで聞けば、かなりの野生児のように思うかもしれませんが、これが当たり前
の日常であって、誰もがやっていたことでした。
ひぐらしのなく頃に
しかし、ひぐらしのなく頃には必ず家に帰るようにしていました。
理由としたらあまりハッキリとしたことは覚えていませんが、たしか妖怪や
お化けが出てきて、連れ去られるということを祖母から言われていたような
気がします。実はその家の向かい側に山があってその中にお墓があるのですが、
何度も火の玉のようなものを目撃していたので、妖怪やお化けといったものには
とても敏感になっていました。ひぐらしがなく頃には大急ぎで家に帰るように
していたものです。
あの頃は、毎日が楽しくて充実していた
引っ越してからは、夏休みがとても待ち遠しくて、休みに入れば帰省し
地元の友達とまた山や川で遊びまくっていました。その頃の悩みなんて
せいぜい夏休みの宿題くらいだったので、毎日遊ぶことばかり考えていた
ものです。しかし、そんな楽しい日々も長続きはしません。
時代が変わっていき、今まで許されていたことが許されなくなってきて、
また自分自身も変わってしまい、いつしか自然の中で遊ぶ時間が無くなって
しまいました。遊び場も外から家の中に変わってしまいます。
しかし、野生児の私はあきらめません。引っ越し先には海があります。
小学校高学年からは山から海に遊び場が変わりました。毎日海に行き、素潜りで
サザエやカキを獲ったり(今は禁止されています)、ヤス(三本のヤス)で魚を
ついてそれこそ「獲ったどー!」と言っていました。もちろんその場でおいしく
いただきました。これは高校3年生の夏まで続きました。この頃もひぐらしのなく
頃には家に帰るようにしていました。実は海にも少し恐怖を感じることがあった
からです。それはまたの機会にお話ししましょう。
あの夏の日に想いを馳せる
やがて社会人になり、年もとっていくにつれ、山や海で遊ぶこと自体が少なくなり、
時代もどんどん変わっていく中で、遊び方そのものが変わってしまいました。
そして現在、夕暮れ時に「カナ カナ カナ」と、ひぐらしがなく頃に思い出すのが、
引っ越しのため転校していったあの夏の日の悲しかった出来事と、幼いころの無邪気
で楽しかったあの夏の日のことです。
最後に
幼いころは、ひぐらしがなく頃には家に帰っていましたが、今は、ひぐらしがなく
頃には心があの頃に帰っているのだと感じています。思い出しているというよりも、
蘇ってくるといった感じです。毎年夏がきて、ひぐらしがなく頃にはまた同じように
心が帰っていくのでしょうね。
ここまでご覧いただきありがとうございました。