こんにちはネコ部長です。
私は以前、「椎間板ヘルニア」を患っていた時期がありました。
今回は、その痛みと戦った5年間についてお話しをします。
椎間板ヘルニアとは
椎間板ヘルニアといえば「腰痛」になるのですが、実は、腰痛の
原因で一番多いと言われているのが「椎間板ヘルニア」なのです。
それでは「椎間板ヘルニア」について少しふれておきます。
ヘルニア
ヘルニアとは、「なにかが飛び出すこと」という意味があり、
椎間板ヘルニアとは、背骨の椎骨と椎骨の間にあるのが椎間板(軟骨)で、
それが何らかの原因により、椎間板の一部が飛び出し付近にある神経を
圧迫し、腰や足などに激しい痛みやしびれなどの症状を起こすことを
いいます。
椎間板ヘルニアになってしまった
はじめてヘルニアになったのは、24歳の時でした。
その頃は、年中サーフィンをしていたので体もかなりしまっていて
体脂肪率もアスリート並みでした。
そんなある日の事、急に左足首あたりに激痛が走り、普通に歩けなく
なるくらいの状態だったので、近くの町医者に行き診察してもらい
ましたが、その時は靭帯を痛めたか、ひどい筋肉痛のようなもの
だと言われ湿布をもらっただけで終わりました。
しかし数日経っても痛みは和らぐこともなく、今度は大きな病院に
行き診察してもらうことにしたのです。病院では、医師の診察のほか
レントゲンやMRIなど受け、そして出てきた診断結果は、「椎間板ヘルニア」
と告げられたのでした。
この時に主治医の先生には、サーフィンをしている話しもしていたので
冷えや、体質が関係しているのと、腹筋と背筋のバランスが悪いと言われ
ました。先生の話しによると、人間は2足歩行をはじめたときから背筋が
強くなり、腹筋が弱くなっていると言われていて、背中側に引っ張る力が
強いので、とにかく腹筋を鍛えなさいと指示されたのです。
先生の言いたかったことは、脊髄に対して、背中側に神経があるので、
腹筋を鍛えることでお腹側に引っ張る力をつけるといった意味だそうです。
人生初の入院
しかし、それで傷みが消えるわけではありません。痛み止めを処方して
もらい、腹筋も痛みを我慢しながらやっていましたが、症状は変わらず
とうとう人生初の入院をすることになりました。
この時、いきなり手術をするとリスクの方が高くなるので検査入院といった
形で7日間入院生活を送ることになったのです。
この期間どんなことをしたかというと、ベットの寝ている状態で、足首に
重りをつけ、それをベットの下に向かってぶら下げる状態にして、ズレない
ように体を固定していました。つまり足を引っ張ることで、椎骨の間を広げ
飛び出した椎間板を自然に元に戻すといったやり方だそうです。
効果はあったのかどうかは正直よくわかりません。とりあえず7日間、
ベットの上でじっとしていたので少しは良くなってきたので、仕事も
あるし、退院することにしました。
仕事辞めました
しばらくは通院生活を送っていましたが、その度にめちゃくちゃ痛い
痛み止めの神経注射を打ってもらったり、座薬を入れたり、薬を飲んだり
と、既に体と精神はボロボロになっていましたし、まともに仕事もできなく
なってしまい、退職することにしました。
リハビリ期間
退職後は、友人の仕事を手伝いながらリハビリ生活を送っていたので、
少しづつ痛みもなくなってきました。体を動かさないと筋力自体が
衰えてきますので、適度に体を使っていました。
ヘルニアになってから、既にここまでで4年の月日が経っています。
そして、症状も良くなったので今の仕事に就いたのです。
ヘルニア再発
新しい仕事に就いて、1年目の出来事でした。それまでは少し痛みは
あるものの、全く仕事や生活には支障もなくサーフィンも続けていま
したが、ある日突然、それはやってきました。
12月初旬の朝の出来事です。あの激痛の数倍ともいえる痛みが、腰から
足首にかけて襲ってきたのです。しかし、当時の職場は慢性の人手不足
もあり、仕事を休むこともできない状況だったので、我慢して出社し、
仕事をしていましたが、以前の数倍の激痛です。まともに仕事なんか
できるわけもありません。左足の痛みをこらえるため、体は横に九の字に
なっている状態です。
駐車場から職場まで歩くのですが、普段5分で歩ける距離が30分かけて
歩いていました。何度も倒れそうになりながらも、痛みで気を失いかけた
こともありますが、せっかく就いた仕事をまた辞めたくない一心で歩き、
仕事をしていました。もちろん、まわりの人たちや上司からも無理はするな
と言われていましたが、「大丈夫ですよ」とやせ我慢をしていたのです。
緊急入院と手術
そして我慢の限界がきました。耐えられなくなり、以前通院していた
病院に行き、主治医の先生に事情を話し診察してもらった結果、
めちゃくちゃ怒られた挙句、「すぐ入院して!手術するよ」と言われ
てしまいました。つまり、重度のヘルニアになってしまったようです。
出典:はちや総合病院
写真のように、矢印がある部分の椎間板が右側にある神経を
圧迫しているのが普通のヘルニアなのですが、私の場合は
椎間板が神経に引っ付いてしまっているそうです。
これを手術して取り除くしか手がないと言われ、会社に事情を
話し、そしてそのまま2度目の入院をすることになったのです。
しかも手術のおまけつきです。
術名「イブ」って
そして、手術の日がやってきました。これでこの痛みとはオサラバ
できると思ったら、少し安心してきました。
そして、手術室に運ばれ全身麻酔を打たれる瞬間に信じがたい
言葉が聞こえてきたのです。
「それでは、これより〇〇さんの術名「イブ」を開始します」
「えっ??」「何ですかイブって?」「あっ・・・・」
そのままテレビの電源を切るかのように急に目の前が真っ暗に
なりました。
そうなんです。手術した日は12月24日、つまりクリスマス・イブ
だったのです!
気がついたのは、手術から3時間後でした。麻酔が切れた後は別の
痛みが襲ってきましたが、それも2日ほどでなくなりました。
そして、主治医の先生がやってきて、「イブは大成功だったよ」と
ニヤリと笑みを浮かべていたのを今も忘れません。
どうやら術名は主治医の先生が自由に付けていいそうなのですが、
さらにニヤリとしながら、先生はこう言ったのです。
「これはクリスマスプレゼントだよ!」
そういいながら渡されたのが、小瓶の中にホルマリン漬け?に
なっている、私の中から取り出した椎間板の成れの果てでした。
それから、1ヶ月の入院生活を終え仕事に復帰したのが、手術後の
1ヶ月半後となったのです。
そして、椎間板ヘルニアを患って、その痛みと戦った5年間に
ようやく終止符を打つことができたのでした。
まとめ
ここで、注意しておかないといけないことがあります。
今回の手術は、神経に癒着していた椎間板を剥がし取り除いた
わけなので、それなりの代償は残っています。
それは、椎間板はクッションの役目をしているので、それを取って
しまったのですから、その負担は別のところにかかってしまっている
のと、剥がしたわけなので少なからず後遺症は残っています。
しかし、それは先生との同意のもとでやってもらった結果ですので
問題はありません。
しいて言うなら、サーフィンは以前のようにできなくなりました。
というか、怖くてできなくなったといった方が正解かもしれません。
でも、あの地獄のような激痛は二度と味わいたくないものです。
世の中には、椎間板ヘルニアで苦しんでおられる人はたくさんいると
思いますが、私がアドバイスできることがあるとすれば、決して無理
ぜす、早めに病院で治療を受け、生活習慣や体質改善に努めていただき
できれば、自然に治ることを願っています。
あとヘルニアに限らず、腹筋は大切です!しっかり鍛えておきましょう。
それでは私の椎間板ヘルニアと戦った5年間についてのお話しでした。
ご覧いただきありがとうございました。